2010年02月19日

酒屋の歴史

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戦時中配給所としての役を担ったそうです
たぶん配給の物資を取りに来られている様子だと思います
店の向こうに見える「浅野軒」の看板、床屋さんだったそうです

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今の店です。看板を置いている屋根の上の石など当時の面影を残しています



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向かって右が 二代目 朝太です
後ろに「立石第一配給所」と書かれた看板が見えます

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暁誉 荒菰 一太(駄)など読み取れます
暁誉は当時(昭和8年)の当店の手印の酒名(山形県の小嶋弥左衛門さんに造っていただいてたようです)、昔、酒は馬で陸送していた名残で四斗樽一丁のことを「片馬」(馬の片方)、二丁のことを「一駄(太)」といっていたそうです

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当時の木の看板
「小島彌左衛門醸造」と書かれています

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これは「通い樽」なのでしょうか。お客さんはこれをもって店に買いに来られたのでしょう。

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昭和8年から9年にかけての判取帳




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戦中の配給通知表
(当時の美濃屋は、配給所に指定されていました。)


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上等酒月桂冠の四合(720ml)びんの木箱昭和15年7月13日詰と刻印されています
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昭和初期の仕入れ帳「一太(一駄)」は四斗樽二丁、「片(片馬)」は一丁のこと馬の背中に両側二丁載せて陸送していたときの名残



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昭和初期の売り掛け
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posted by minowaki at 11:56| 酒屋の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする